京都の闇に魅せられて(新館)

特別編・2024年「四国妖怪フェスティバル」と道の駅大歩危・前編 @ 京都妖怪探訪(890)

 



 どうも、こんにちは。
 またもや公私共オフ多忙で、記事更新を2週間ほど止めてしまいましたが。
 今年の5月25日、妖怪こなきじじいなど数多くの妖怪伝説が遺る地でもある、徳島の秘境・大歩危(おおぼけ)で開催されました、『四国妖怪フェスティバル』へと行ってきました。
 今回から何回か、特別編としてこの妖怪イベントと、大歩危の妖怪伝承地を何カ所か巡ったレポート記事を書きたいと思います。
 まずその第1回は、妖怪伝承による地域お越しの拠点となっている「道の駅大歩危」を紹介します。

 

 昨年12月に行われた『沙界妖怪芸術祭』(※その詳細はシリーズ第870回を参照)。
 この妖怪イベントが、『四国妖怪フェスティバル』「道の駅大歩危」とを知る最初のきっかけでした。
 その時に、道の駅大歩危のスタッフの皆さんも参加・出店されていて、幾つか買い物もしましたが。



 その時から、『四国妖怪フェスティバル』に参加してみたい。
 是非とも多くの妖怪伝承が遺る大歩危の地を是非とも訪れてみたい。
 そんな想いを抱き続けてきました。
 今年は5月の25日と26日とに開催された『四国妖怪フェスティバル』。
 仕事の都合で25日しか参加できませんでしたが、それでも無理をしてでも参加しようと思い立ちました。

 

 その前日5月24日、私にとっては夜勤明けの休み。
 きつい夜勤あがりの日は、疲れも残っていてきつかったのですが、重い身体にむち打っても、大歩危を目指します。
 まずは京都から岡山まで新幹線のぞみで移動。
 新幹線で旅行というのも久しぶりということもあって、ちょっと豪華な駅弁を食べながら。


 


 途中、岡山で高知行き特急「南風」へ乗り換える時も、岡山名産のいちごで出来たこういうスイーツを食べながら、で。


 


 特急「南風」で瀬戸大橋を渡り、四国へ。



 さぞかしいい夕景が見られるだろうなあと思いながら四国へ。

 


 ただ現地・大歩危では宿がとれなかったので、その手前の琴平で一旦降り、宿をとります。



 琴平といえば・・・そう、本シリーズでもお馴染み(?)の崇徳上皇が祀られている金刀比羅宮のある地です。
 これは・・・崇徳上皇にご挨拶し、そのレポート記事を作らなければ・・・と思いましたが、あいにく夜勤明けから何時間もかけて移動して、既に心身共に限界。そんな状態で、1368段もあるという階段を上って参拝するのは無理。
 翌日は早朝から大歩危まで移動しなければならないこともあって、今回は涙をのんで金刀比羅宮参拝を断念。
 この日は、食べて、温泉入って、休むことに専念。


 


 ここに来るまでに、空海上人の生誕地・善通寺も通ってきたことから。
 またここ善通寺や金刀比羅宮などのスポット巡りもしたいと思うように。
 ただ、それが出来るだけのまとまった休日が取れればいいのですが・・・。

 


 翌日、25日は早朝から出発。
 特急「南風」に乗って、吉野川沿いの谷間も眺めながら、大歩危を目指します。


 


 大歩危駅が近くなると、吉野川の対岸に見える施設が。



 おそらくあれが、目指す「道の駅大歩危」かな。


 大歩危駅に到着。


 


 やはり妖怪伝承の地だから、でしょうか。
 河童と一つ目入道と。


 


 駅長となった(?)、こなきじじいが出迎えてくれました。


 

 ここ大歩危は、こなきじじいをはじめとする数多くの伝承地として知られ、「妖怪伝説の多さを活かして妖怪文化の普及に貢献している」ことが認められ、平成20(2008)年に世界妖怪協会(故・水木しげる氏が会長)から「怪」遺産に認定されたという場所です。
 妖怪による地域おこしの意志がここからも伝わってきます。
 
 
 駅前のちょっとした商店街を抜け。


 


 鉄橋で線路と吉野川をまたいで対岸へ渡り。


 


 途中、以下のような案内板が幾つも。


 


 吉野川沿いの道をさらに歩き続けると。


 


 そのうちに見えてきました。


 


 その中には妖怪伝承の博物館みたいな「妖怪屋敷」と「石の博物館」もある、妖怪伝承による地域おこしや情報発信と、伝承地巡りとの拠点のような施設になっているようです。


 敷地内には幾つも妖怪の像が。


 


 開催前の早い時間に着きましたが、「妖怪フェスティバル」の準備が進んでいました。


 


 フェスティバルの本格スタートまでまだ時間があるようなので、『沙界妖怪芸術祭』の時にも買った「妖怪茶」を買って飲んで。


 


 入場券を買って、道の駅大歩危内にある「妖怪屋敷」と「石の博物館」へ。



 「妖怪屋敷」と「石の博物館」の展示物については、「個人で楽しむ場合に限って写真撮影可」ということでしたので、残念ながらここで読者の皆さんにその様子をお届けすることができませんが。
 「妖怪屋敷」の内容は、大歩危に伝わる妖怪伝承の博物館みたいなもので、妖怪やその出現場所などを再現した人形や模型などが展示され、ビデオによる解説や手作りの紙芝居展示などもあるという、楽しく充実したものでした。
 その中でわかったことのひとつが、豊かではあるが我々人間にとっては厳しくもある大歩危の自然環境が、数々の妖怪伝承を生み出したらしいということはわかりました。


 「妖怪屋敷」と「石の博物館」を出た後は、道の駅大歩危のベランダから、その眼下に広がる渓谷と吉野川とを眺めます。



 ご覧の通り、なかなかの絶景です。
 長く見続けても、見飽きることのないような。
 しかし吉野川の激流や、それによって削られ続けてきたらしい渓谷の岩石などをよく見ていると、この豊かな自然環境が、人間が生活するには過酷で危険なものであることは、想像に難くないのではないか、とも思います。
 例えば、後で妖怪伝承地巡りガイドの方から聞いたお話ですが、吉野川は大変な暴れ川でもあるそうです。
 その日は晴天で、吉野川も比較的穏やかなようでしたが。



 大雨や台風などで増水した時には、下図の赤線の部分まで水に浸かってしまうことすらあるそうです。



 うわー、これは本当に大変だなあ・・・と思います。
 その激流もあって、吉野川やその支流では昔から水難事故なども多く、その危険や恐ろしさを具現化し、注意喚起をする為に、河童やカワミサキなどの人間の生命をも狙う恐ろしい妖怪が想像(創造)されたそうです。
 そう言えば、本シリーズにも度々登場していただいている京都の妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏からも、このようにして河童などの水の妖怪が作られてきたというお話を聞いたことがあります。


 「妖怪屋敷」と。
 この妖怪伝承を生み出した、過酷だけど雄大な自然を見られただけでも、無理してまでここまで来た甲斐があったと思いましたが。
 その後、「四国妖怪フェスティバル」が始まり。
 さらにその後、大歩危の妖怪伝承地巡りをするのですが。
 記事が結構な長さになりましたので、今回はここで一旦切ります。


 

 それでは今回はここまで。
 続きはまた次回。

 

 

*「道の駅大歩危」へのアクセス及び周辺地図かこちら

 

 

*「道の駅大歩危」のHP
https://yamashiro-info.jp/

 

 

*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/

 

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